地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、芦屋の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

芦屋の地域情報サイト「まいぷれ」

乾杯は地元の酒で

第1回 伝えたいことが無限にあって休めない!

演劇評論家の河内厚郎さん

今回からスタートする、リレーインタビュー「乾杯は【地元の酒】で」。
地元を愛し、地元で活躍する方々に、地元への思い、そしてお酒に関することを、あれこれ伺うコーナーです。
第1回目は、関西のあらゆる文化をプロデュースする、演劇評論家の河内厚郎さんにご登場いただきます。

河内厚郎(かわうちあつろう)さん

1952年西宮市生まれ、一橋大学法学部卒。
演劇評論家、文化プロデューサー、夙川学院短期大学特任教授、兵庫県芸術文化センター特別参与、宝塚市・西宮市の文化振興財団理事、阪急学園池田文庫理事、「宝塚映画祭」実行委員長など、多方面で活躍。
著書に「淀川ものがたり」「わたしの風姿花伝」、編著「手塚治虫のふるさと・宝塚」、共著「阪神観」、対談集「関西弁探検」など。西宮市在住。

映画撮影所からレコード会社まであった西宮

私はサービス精神あるO型なので
叔母が望んだサラリーマンになり
母を喜ばせようとテレビに出て
父の希望の通り物書きになりました
私はサービス精神あるO型なので
叔母が望んだサラリーマンになり
母を喜ばせようとテレビに出て
父の希望の通り物書きになりました
――河内さんが幼少のころの西宮は、どのような街でしたか?

西宮北口には宝塚映画の撮影所があり、中村扇雀(現・坂田藤十郎)と扇千景の撮影を観に行きましたね。「日芸会館」では、能、文楽、歌舞伎などもやっていましたし、阪神西宮の周辺には、寄席や芝居小屋があって、叔母によく連れて行ってもらいました。芸能人もたくさん西宮に住んでいて、銭湯で森光子に会ったこともあります。今津には、マーキュリーというレコード会社まであり、西宮は、華やかな文化都市だったんです。ところが、東京オリンピックのころから、政府の意向によって東京一極集中が進み、これらは1つずつ消えていきました。

小学校のころから、友達に「評論家に向いてる」と言われていましたし、訴えたいことがすごくあったから、物書きになるつもりでいました。一橋大学を選んだのは、関西人の少ないところで生活してみたかったから。津田塾の女の子が多いという理由だけでマンドリンクラブに入ったら、指揮者が竹中平蔵でした(笑)。
24歳で、シャンソン歌手のオーディションに
合格したころの、お宝写真
24歳で、シャンソン歌手のオーディションに
合格したころの、お宝写真

――大学卒業後、少しの間サラリーマンをされていたとか。


フジテレビの最終選考までいったところで、日本生命を選び、東京人事課に配属されました。ところが、作った書類がしょっちゅう戻ってくる。自分には向いてないと気づき、申し訳ないからボーナスも受け取らず、1年も経たず辞めました。私は興味が持てないことが出来ないタイプなので、世のサラリーマンは偉いと思います。

次にシャンソン歌手を目指したのですが、私の歌は3曲目で客が飽きてくる。でも、曲の解説を始めるとウケたんですよ。その後、ラジオやテレビに出たり、雑誌に原稿を書いたりして、30歳で西宮に帰ってきました。大学も多く人材も豊かな阪神間を、再び大きな文化都市にしたいという夢があったんです。

阪神間が作るべき次の商品は、日本酒と洋菓子のコラボ

――さて、お酒の話題に移りますが、河内さんは「酒の都~灘五郷」のアピールにも、一役買われていますね。

灘は、日本有数の酒どころですが、ヒットした「ワンカップ大関」のように、全国で手軽に購入できるイメージが強くなりすぎ、地元らしさが却って出せずにいたきらいがありましたが、最近では、酒蔵通りに新しいスポットが誕生するなど、「足を運びたい」と思ってもらえる街づくりが進んでいます。
例えば、かつての蔵元のイメージで建てられた「白鷹禄水苑」は、ショップやレストランだけでなく、伝統文化発信の場にもなっています。西宮市松原町には、「呉」の国からやって来た、綾織(あやはとり)と漢織(くれはとり)が、「染殿池」で糸を染めたという故事が残っていますが、これにちなみ、「染」の名のつく噺家の「染殿寄席」を、「白鷹禄水苑」で20年ぶりに復活させました。休憩時間には、しぼりたての生原酒の唎き酒も楽しんでもらえる趣向で、私も進行役として出演しています。今のところは落語だけですが、いつか市川染五郎も来てくれたらうれしいと思っているんです。
真剣勝負の瞬間、呼吸は止まる。
だから、その時々を真剣に生きている人や
成功している人の呼吸は、大きくて深いですね
真剣勝負の瞬間、呼吸は止まる。
だから、その時々を真剣に生きている人や
成功している人の呼吸は、大きくて深いですね
――酒文化と歴史ロマンとの組み合わせが、おもしろいですね。

私の家のご近所には、日本盛の「酒蔵通り煉瓦館」がありますし、昔通っていた甲陽学院中高は、白鹿グループが経営しています。また、大関がコレクションしている寺島紫明は、好きな日本画家で、私は「酒の都」で育って学び、今も生活しています。

阪神間の特徴は、山手に洋菓子、海側に酒造りの文化を持っていることです。このようにはっきりとした文化がある阪神間が、今後創作すべき商品は、日本酒と洋菓子のコラボレーションでしょう。白鹿の吟醸酒入りチョコ「灘のぼんぼん」や、白鷹の「大吟醸酒粕ケーキ」など、新しい商品は出始めていますが、もっと阪神間を前面に出した「酒と洋菓子のコラボ商品」をどんどん企画すると良いですよ。

今後の夢は、「インド人街」と「世界宗教サミット」

――プロフィールに書ききれないほどの肩書をお持ちで、本当にエネルギッシュだなぁと。

興味がないことは一切やっていませんし、関わっているすべての方向性は一緒ですから、それぞれを連動させているのです。子どものころから、古いものを壊して白紙にする再開発が、気になって仕方なかった。「なぜ、活かすことを考えないんだろう?」と。だから、博覧会やテーマパークなどは、好きじゃない。その土地の何かしらの由来や、雰囲気を残した街づくりが、子どものころからずっと変わらずに持ち続けている、私の地域に対する思いです。伝えたいこと、やりたいことが無限にあるから、震災後は1日も休んでなくて、書いたり、しゃべったり、大学で若い人に教えているんです。
大阪市堂島の河内厚郎事務所。
廊下もテーブルも窓も資料でいっぱい!
大阪市堂島の河内厚郎事務所。
廊下もテーブルも窓も資料でいっぱい!
――これから阪神間で、河内さんが進めたいことを教えてください。

まず1つめは、神戸にインド人街をつくりたい。7世紀に、インドの法道仙人が摩耶山にお寺をつくった。神戸は、そんな大昔にインド人がやってきた場所なんですよ。戦前には、三宮に「ボンベイ・タウン」というインド人街がありました。チャイナタウンは、長崎、横浜にもありますが、インド人街は神戸だけなので、ぜひ復活させたい。カレー屋やインド占いなど数軒とインド風の門ぐらいからのスタートで、最初は充分ですよ。

2つ目は、世界宗教サミットを北野で再びやりたい。神戸の北野地区には、1kmの範囲に、北野天満宮、ユダヤ教会、モスク、キリスト教会など、世界の神々が集まって共存しています。平清盛が、理想の国際都市を作ろうとしていた福原の夢が、今、実現しているんです。世界各地では宗教が紛争の原因になっていますが、異なる宗教が尊重しあって共生している北野の姿を、世界に向けて発信したいですね。

河内厚郎さんからのお友達紹介

武庫川女子大学生活環境学部の准教授三宅正弘さんを紹介します。日本の歳時記の復活を目指している、ユニークで精力的な人です
河内厚郎さん→三宅正弘さん→

2009年3月掲載

<今回の「おひとつどうぞ!」>

大吟醸酒粕ケーキ白鷹禄水苑オリジナル 大吟醸酒粕ケーキ *季節限定品*

芳醇な大吟醸酒粕をたっぷり使ったスティック状のケーキ。卵・小麦粉、砂糖にいたるまで厳選された自然の素材を使い、甘味をおさえた素朴な味に仕上げました。プレーン・レモン風味をセット。(5本入り・900円)

ご提供:白鷹録水苑